「天秤にかけた判断」についてふと思う。
2021年4月7日 23:03公開 / 2021年4月21日 19:00更新
過去2020年4月15日に書き留めていた、記事をピックアップしています。
昔、縁があり海外の大手企業と国内総代理店の契約を締結が出来た時、輸入業を通じてコンテナの荷物に「保険」を検討する時があったのだ。
マリン・リスク(火災、衝突、暴風、落雷の自然災害)と戦争&ストライキいずれか海上で船に何かあれば荷物を「保証」してくれる「保険」なのだ。
今コロナで思うと「税金」が「保険料」に思えるのだ、「給付」が「保険金」にも思えるが生きている限りそんな記述はどこにもない話だがふと思える事がある。
備蓄文化が脳裏に過るからなのか、この国に生きているDNAが働くのか「備蓄」の思考と擦り合わせて考えしまうのだ。
話に戻ると、まずこんな「戦争」や「船の転覆」なんぞ、起こらないと思って、いつも断りを考えるが…担当者からすれば「いつなんどき」何が起こるかわからないものを「保証」しておける話だと。
安いものだと様々な例を上げて説明を丁寧にしてくれる、起これば後で解る話といつも話してくれる落ちなのだが。手続きには実際そこに迷いはない話なのだが。
リスクについて、いつも考えておける「保険」とは、リスクが現実的に身に起きないと解らないものに、「ヘッジしておく」となると「備蓄」でありながら投資なのかといつも思ってしまう。
起こるべきでないものを想像や実例から紐解き「備える」こと、統計的に割り当てるのか、本来は毎回未知の確率に対して規定で定められた手続きをしなくてはならないのだ。
いつも生き物に対してなら何も迷わず「おもいやり」で判断できるはずなのだ。あなたならどうだろうか?ギャンブルのように毎回保険を掛ける時もあれば?掛けない時もある?全てにおいて保険を掛ける?対象物によって変える?
と言った感じに千差万別「英断」が変わる場面があるだろう。他者と意見を通じるなら討論になる話なのだろう。
自分ではないが、昨年に羊1万4600匹の羊を乗せた貨物船が「転覆」うち生存羊32匹の羊だったそうだ…
羊のオーナーは「転覆」なんてあり得ない話が、こんなリスクなんて起こるはずがないと思ったことだろう。
そう思うと...数ヶ月前は自粛のない普通の生活だったがどうだろうか。
このような貨物船でも的確な「判断」をしているはずだ。していなければ「保険」で補える「保証」もなければ勿論、当然1万4600匹分の命共々、海に消えていく話である。
そもそも命なので、保証で補えないものがあることを、実際に起きてからその重要に気づく時があるのだろう。
このような事態に日頃過る備えはしているかどうかと思うとその「保険」や「備蓄」、「ヘッジ」と言ったものに対して「危機的状況起こる」ものとして、また「危機的状況が次から次に起こる」ことまで考慮し、更に「判断」または更なる「英断」まで備えたものであるべきかどうかと思えるのだ。
「起こらないから大丈夫」
「お起こるか解らない?」
「起こる!」
危機感を想像と実例で紐解く、または統計で紐解く以外に備える選択肢が余儀なくされるのであれば、どうだろうか? どこまで考慮して普段不測の事態に備えれる考えとなるのか。
例えば、この国で不動産投資をするのであれば懸念材のリスクは「地震」だ。ここの国では「地震」は「起こらない?」ではなく間違いなく「起こる」国だ。
また最近4/14のニュースでは、大臣直々、感染の中、中国の軍事的挑発が領空浸入152回、公船がほぼ毎日日本に
2021年4月7日 23:03公開/ 2021年4月21日 19:00更新